盛田の伝統
盛田の伝統を地元知多半島の歴史とともに振り返ります。また現存する古いラベルは「和」と「洋」が絶妙に交じり合った、繊細で高級感のあるデザインです。パリ万博に出品されたブランド、戦時下を髣髴とさせるラベルなど、当時を窺うことができます。

地元食文化の歴史とともに歩んだ盛田

初代・盛田久左ェ門が、海運の便の良い知多半島小鈴村にて、寛文5年に酒造業を創業しました。知多は尾張徳川藩の治下にあり、年貢米の換金手段として酒造業は保護育成されました。当地は温暖な気候であり、醸造業が栄えましたが、冬季には伊吹おろしの寒風が吹きつけ、酒造りに適した環境になります。その後、宝永5年にみそ、たまりの醸造を開始、明治元年にはしょうゆの醸造にも着手し、盛田は地元食文化の歴史とともに歩んできました。

昔の酒のラベル

昭和初期と思われるラベルの一部を紹介します。当時はまだ、「盛田合資会社」と名乗っており、ラベルに見られる「大日本」、「帝國」の文字が時代を彷彿とさせます。
ラベルに松の図を描くことで、「子乃日松」と読ませる「絵文字」になっています。
当時から販路によってさまざまな商標を使い分けていましたが、「博愛」については、明治32年(1900)のパリ万国博覧会に清酒を出品した時に考案した銘柄であります。
昔の酒のラベル1 昔の酒のラベル2 昔の酒のラベル3

昔の調味料のラベル

みそ、たまりのブランドはかつて「山泉/ヤマイヅミ」にて販売していました。特にたまりは江戸期以来、西日本へ浸透し、現在でも業務用市場で広くご愛顧いただいております。
また「旭」は戦時色の強いものになっており、質素な色使いのラベルは、当時がしのばれます。
昔の調味料のラベル1 昔の調味料のラベル2 昔の調味料のラベル3

古い写真に見る盛田

出荷される子乃日松(戦前) 名古屋本店の倉庫

出荷される子乃日松(戦前)

名古屋本店の倉庫